みなさん こんにちは。
今日は こちら 気温26°。 風が少しあり すごしやすい初夏の日曜日です。
今回は レッチェのとなりの県 ターラント県の県庁所在地
ターラントという街についておはなしします。
ターラントは人口約20万人ほどを有する南イタリアで3番目に大きな町です。 ターラントは重要な軍港と商業港を有し、製鉄所、石油精製工場、化学工場、造船所(戦艦)、食品加工工場があり プーリア州のなかでも バーリにつぐ 大きな港町です。
『ターラント』 と聞くと こちらの人たちは 工場などからの排気ガスなどによって 汚染されたまちとか、
公害 を連想するそうで みんなあまり良いイメージを持っていないようです。が、 このまち わたしはとっても好きなんです。
港町ならではの異国情緒ただよう街の雰囲気、まだまだ整備されてないむかしのイタリアの下町の風景を残す旧市街地、息を飲む美しさを誇るドゥオモ、おどろくほど精巧な紀元前時代の金細工を所蔵する国立博物館、などなど みのがせないものがじつはたくさんあるまちなのです。
プーリア州のまちは その多くがかつて 紀元前のむかし、ギリシャ植民地でした。ただ植民地といっても名ばかりで 実際は 自治権をもった独立した都市国家でした。
このターラントは その数多くのギリシャ植民地のなかでも もっとも重要な都市として繁栄を極めました。
写真は 1973年〜1975年、この場所に建っていた SS .TRINITA 教会 を取り壊し中に 見つかった ギリシャ神殿の円柱2本です。
円柱の高さは約8.4メートル、 写真でご覧いただけるように 大きな神殿をささえていた円柱のうちの2本です。ちょっと想像力を働かせてみると いかに大きな神殿だったかがわかります。ここにこんなにでかい神殿があったとは・・・・・・
ギリシャ神話における 海洋をつかさどる神
”ポセイドン” に捧げられた神殿だったそうです。
なるほど 海の街 ターラントならではですね。しかし こんなに大きな神殿があったということは
ギリシャ植民地の中でも ターラントのまちが いかに重要な都市だったかが伺い知れます。
紀元前 580年ころの ドーリア式ギリシャ神殿を支えていた2本の円柱。
ターラントは 紀元前 3世紀には やがて ローマ帝国の支配下に入り このギリシャ神殿もその重要性を失います。その後 時代の変遷とともに見捨てられ 徐々に崩壊し 教会建設の際に このギリシャ神殿の残った部分をそのまま利用したようです。そして1970年代の 教会取り壊しの際に長い長いときを経て また再びひとびとの目の前に この二つの円柱が姿を現したというわけです。
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